躁鬱ぬるま湯日記

2016年11月に双極性障害の診断を受けました。最近は症状も落ち着いているので、緩めの精神疾患日記です。

手紙

唐突にやる気に満ち溢れそわそわしている。

 

自分にも何かできることがあるんじゃないかって気がしてくる。いや実際できることがなんにもないわけじゃないけど、今自分が考えてるほどにはできないということを理解しなきゃならない。

 

バイトに行き始めただけで進歩したんだよ、進歩したばっかりだからせいぜい3ヶ月くらいは現状維持したほうがいいと思うんだよ。

 

なのに何もできない現状が歯がゆくて、何かしたくて、また不安感が押し寄せてくる。

 

バイトがない日はなにもしない日が続いている。それでいいの?25歳の今、1番しがらみがなくて自由な人生を歩んでるはずなのにそれでいいの?

 

私がしたくてたまらないことなんて尊敬する作家に手紙を書くことくらいだ。でも最近はうまく書けない。たくさん書いたら迷惑かもしれない。私の手紙なんていらない。いろんな考えが筆を遅くする。

 

なのに書きたい気持ちだけどんどん膨らんでいく、だからもう書くしかないんだ。明日は手紙を書こう。書かなくちゃ落ち着かないんだから。

 

随分前から「せずにはいられないほど熱中すること」が欲しかった。でもいざ持ってみると、それに追随する苦しみは当然出てくる。手紙なんて自己完結だ。会話のキャッチボールにはならない。

 

この間会った人に、私が半年前から20通の手紙を送ったことを話して、そのことが不安だと言ったら、

「もっとヤバい人はいっぱいいるから大丈夫だと思うよ、家特定したりとか」と言われて、ホッとした反面、心にその言葉が染み付いた。

 

違うんだ、いや、ヤバいことは承知なんだけど、ヤバさ対決のフィールドに居たいわけじゃないんだ。いや、そのフィールドに入ってしまったんだけど…うまく言えない…。

 

「家を特定する」と同じ並びに並べることではないと思っちゃったのが良くなかったのかもしれない。だって家を特定するのはファンじゃない、ストーカーの行いだから。

 

私は出版社経由で正しくファン活動をしているから、そこでモヤッとしてしまったのかもしれない。なんでもない言い回しなのはわかってる、繊細に拾っていくべきではないことも。

 

私だって、人の迷惑を顧みず、相手の貴重な人生を手紙に目を通すことで奪うべきでないことについて散々考えた。

 

ひとつの手紙を書くのに1週間かかる。10枚書いた手紙の文法チェックやら、便箋に書き付ける作業で、毎日少しずつ進めないと完成できないのだ。人生の時間を削って書いている感じがすごくする。

 

でも、書いてしまう。ここに戻ってきてしまう。つらい、たのしい、つらい、つらい。

 

人はいつ死んでもおかしくないから、絶対このことで後悔したくないと思っている。私がどれだけあなたを尊敬しているか。どれだけあなたの偶像にすがって生きてきたか。どれだけあなたの幸せを願っているか。

 

伝えなきゃ、それしかなくて自分が恐ろしい。なんでこんなことになったんだ。私は手紙に依存してるのか?

 

エゴすぎてとても辛い。でも文章の量が減っていかない。こんなのは押し付けであって愛じゃない。愛は静かに見守るものだと思う。

 

つらい。つらい。

 

涙が出てくる。いつも泣きながら手紙を書く。

 

封筒だけ見て処分されていても一向に構わないんだ、でも封筒を捨てる時に「またこの人か」って思ってくれたら、全部報われる。

 

むしろ返事なんか欲しくない、もらったら嬉しくて発狂するけど、同時にとても辛くなると思う。なんでなのか自分でもわからないけど、これもエゴにすぎないんだと思う。

 

だから明日も、丁寧に丁寧に手紙を書くよ。