躁鬱ぬるま湯日記

2016年11月に双極性障害の診断を受けました。最近は症状も落ち着いているので、緩めの精神疾患日記です。

青春時代に着ていた服によって自分の人生は決まる、という話

私はデザイン系の専門学校に行ったので全くコンサバというものに触れてこなかったのだけど、世間一般ではコンサバがいかに主流なのか、最近それがじわじわ来てる。

 

デザイン系の専門学校に行った時点で、学生のファッションの主流はナチュラル、カジュアル、モード、原宿系、パンク、ゴスなんかに大別される。コンサバ、ギャル、ガーリーは希少。

 

それが普段見慣れたせいで、むしろ世の中の多くのサラリーマンの服とか、OLの着てるような服はダサいと思い込む。今でもその呪縛は解けていないけど。コンサバ系の服に1万使うならモードブランドで3万使いたい。分かる人には分かると思う、この感覚。

 

最近、フェイスブックでみかける旧友たちの写真などを見て、ひょっとしてコンサバって世の中で1番主流なんじゃ…??似たような形の服多いしコーディネートもしやすそうだし…!ということに気づいてしまった。

 

そして、青春時代に着ている服によってその後の自分の人生も決まっていくんじゃないかと思う。

 

というのも、やっぱりコンサバ系だと卒業後一般企業に就職して馴染みやすいし、モードを着ていた子たちはショップ店員したりなんだり。彼氏がどの層でできるかも、着ている服にかかっていると思う。

 

コンサバを着ている女子の彼氏は間違いなくリーマンだし、彼氏の方も多分シンプルな服。スーツばかり、休日もジャケット。そんな感じでしょう。そしてお互いちゃんとした企業で正社員、もしくは派遣社員をしている。なぜなら大学を出て即就職したからで、就職できたのは無難であるからだ。

 

ここまで言うとただのコンサバディスみたいに見えるかもしれないが、世の中が求めているものは無難であることなんだと思う。

 

小さい頃から大人になるまで、そして今に至っても、私は「個性が大事」ということを何度も何度も刷り込まれた。ひとりひとり違う人間、個性は尊重されるべきもの。

 

そう教わってきたデザイン学生が、服で自己主張したくなるのも当然だと思う。というか、服を着ることを自己主張としてとらえている人間はけっこう多いと思う。

 

もちろん服に無頓着、着られるものがあればいいと思う人も多くいる。しかしそれは、「服は自己主張をする一部」だと思っている人間からすれば、「私は服に無頓着です」というひとつのアピールにほかならない。

 

そこで、コンサバである。コンサバは強い。コンサバな服を好んで着ることができている時点で強い。「無個性に見えて無個性でない、無難な美しさ」。それを選択して着ていることが慎ましいし、そういう慎ましさが日本人らしくも思える。だから多くの人がコンサバを着る。そしてジュエリーだけ、少々高級なものを身につける。なんだろう、この正しさでぶん殴られる感じ。

 

道を歩いている人のファッションをついついチェックする。昔は尖ったファッションの方が可愛いと思っていたのに、最近は普通にほわほわした女の子のほうが可愛いとおもってしまっている自分がいる。ガーリー、コンサバ。それは憎むべき対象だったのに。

 

だいたい、モードの波はもう終わってしまったと言っていい。各種尖ったファッションの雑誌は軒並み廃刊し、ファッションスナップに出てくるコーディネートも、どこかで見たことあるようなのばかりだ。ちょっと尖ってるくらいなら、コンサバに擬態して生きた方が楽なんじゃないかとさえ思えてくる。

 

かといって私の人生が、コンサバな服を着ていたからどうなったとか、そういうことを考えるだけ無駄なのもわかっている。でも年齢的にコンサバを見直す時期に来たんだなあと、少し大人になってしまった自分のことを記録しておきたかったのだった。