読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

定まらない日記

身の回りのことを書きます。アダルトチルドレン、双極性障害。

実家に帰った

人間模様

Aと一緒に私の実家に帰り、結婚したいということと、私の病状を伝えた。

 

母は寿司やローストビーフなどのパーティで食べるようなセットを食卓に用意して待ってくれていた。お酒も出た。

 

私の病気のことや、アダルトチルドレンに対する理解は、父はあまりなかった。母も病気のことは理解してくれたもののアダルトチルドレンのことは考え方だから、という立ち位置。父には「アダルトチルドレンなんて精神病を増やすため、医者が儲けるための考え方としか思えない、意味がわからない」と言われた。私は「通常親にアダルトチルドレンであることは理解が得られないから伝えない方がいいということを知っておきながら、自分のためにも今後の妹たちの教育方針のためにも伝えたいと思ってしまった。でも後悔している」と伝えた。

 

病気の話になったあと、母が私のことを、こんな生活して甘えてる、情けないと思わないのか、病気は治そうと思えば治ると、そういう方向に話をし始めて、どんどん母が思ったことをそのまま言い始めてから、隣に座っているAもイライラし始め、私もああやっぱりだめなんだな、なんて思っていたら、急に吐き気が込み上げて、話の途中だったけどトイレに駆け込んで吐いた。

 

別に気持ちが悪いわけでもなかったし、ごはんは美味しかった。でも嗚咽が何回かあって、本当に胃の中のものが出てきたのでびっくりしたし、本当にこんなことで人って吐くんだなあ、なんて思ったりした。直前まで、味が良くわからなくてもご馳走を胃に突っ込み続けていたのだけど、もったいなかった。

 

少し震えもきたので、不安を抑えるための薬を飲もうとカバンから取り出したら、母が「こんなので飲んじゃダメ」と酒を取り上げて、水を出してくれた。薬を飲んでしばらくしたら幾分落ち着いた。

 

私が吐いたことで全体的に、これ以上追い詰めてはいけない、というふうに空気が動いたみたいで、これから2人はどうしたいのか、暮らしていくには経済的にはどれくらい大変か、という話をした。Aはずっと冷静に受け答えしていた。母が声を荒げ気味になったときも、父が「ACなんて病人を増やしたいだけの考え」と言ったときも、Aの怒りが隣から伝わってきたが、本当にとても冷静だった。

 

事前にこのことを何度もAと話したけど、Aは母が浮気したりしていた点がどうしても許せなかったようで、父のことよりも母のことを嫌いだと言っていた。母が「学校も通わせて、ご飯もたべさせて、ちゃんとしてきたのに」と口走った時、事前に2人で話していた時は「俺、Kちゃんのお母さんがそういうこと言ってきたら、浮気してたくせにって言っちゃいそう」と言うほどだったのに、母が本当にそう言った時もAは黙っていた。私はそのことが本当に助かった。

 

これもAに事前に言っていたことだが、母の浮気は家庭の事情がこんがらがり他に頼れる男の人がいなかった母が浮気してしまったこと、父を男として見れなかったことは仕方がないと私は思ってるので、むやみやたらにこのことで傷つけたくない、責めたりしないでくれと頼んでいた。

 

実際にうちの両親の話を聞いて頭がまっしろになっても、その約束を守ってくれたし、両親とAの間で板挟みになりヒヤヒヤする事態は避けられた。

 

母は私が吐いてしまったあとから、母自身のことを責めて泣き出し、私に謝ったり、それでも家族みんな辛い思いをしたということを言った。

 

結論、条件付きで結婚はなんとか認められた。私が短い期間でも実家で生活し、家族と少しでもわだかまりを取って、祝福しやすい環境を作ってほしいということだった。半年でも3ヶ月でもいいから、と最初は言っていた両親も、私の様子を見て、さらに私が「どうして帰らなきゃいけないの?」と言ったことも手伝って、本当に少しの時期でいい、と言ってくれた。

 

このままでは私側の家族はみんな祝福できないままになるから、ということはとても良く伝わった。その日は話し合いはそれくらいにして、あとはそれぞれの両親の顔合わせの食事をしようという話になり、わりと円満に別れることができた。

 

 

今日、母からメールが届いた。体調が悪いのに無理を押して帰ってきてくれてありがとうという書き出しで、妹が不登校になっている、と告げられた。

 

妹と会った時、私は学校のことを聞いてしまっていた。しまった、と思った。まさかそんなことになっているとはつゆほども思わなかった。自分のことでいっぱいいっぱいだった。

 

私には妹が二人いる。二人とも、私が出て行ってから心のバランスを崩し、様子がおかしくなってしまったという。片方が不登校になって、片方は前から無口だったけど、より自分のことを話さずふさぎ込むようになったそうだった。

 

私は妹のことをどうでもいいなんて思ったことは一度もない。わりと年の離れた妹たちだったので、おしめも変えればミルクもあげた。二人が生まれてから、ずっとそばにいた。お互いをジャマ者扱いしたりしない、かなり仲の良い姉妹だった。妹が生まれたことは本当に嬉しいことだった。でも、妹たちが私と同じようなテンションで私のことを大切に思ってくれていたことを、私は想像できなかった。

 

家出をする前から、メモ帳に「ここを出て行く」と書いて、その目標のために必要なものをわざわざ書いていたのだけど、妹はこれを私が家出する前から見て知っていたのだと言う。

 

そして私が家出を決行したあと、おき忘れていた、私の中学生から高校生時代くらいの日記帳までも読んでしまったらしい。妹がそこまでのことをするなんて思わなかった。私が出て行った理由が知りたくて、日記を読むなんて。

 

その日記帳には、幼い時、私が生まれたての妹に感じた殺意のことまで書いてあった。妹を殺さなくて本当に良かった、どうしてあんなにリアルな殺意を感じてしまったんだろう、という内容ではあったと思うが、それでも十分ショッキングだろう。私は人として最低なことをした。どうしてよりによってあの日記だけ置いてきてしまったんだろう。

 

妹は怒ったらしい。「私たちはみんなKちゃんのことを大切にしてきたのに、出て行くなんてひどいよ、お母さんほっときなよ」と。

 

でもそのうち私を責めることも母を責めることもしないようになり、片方は不登校、片方はふさぎ込むようになったのだった。

 

母は「私の存在が嫌であればKが帰ってくるときは違う場所にいるので、どうか妹たちとのわだかまりを解いてほしい」とメールに書いてきた。

 

直接会ったときに母が私に、不登校のことを伝えなかったのには理由があった。母が「私以外のみんなだって辛かったんだよ、とくに妹なんか」と言いかけた瞬間に、妹が本当に嫌そうな顔をして母を睨んだ。「言わなくていい!」とても語気が強かった。

 

あの家族は、妹たちまでもが、私を中心にしていたのだった。

 

母も、妹も。父でさえ、私がいなくなってからは寝込んだという。私にとって家族は、一人一人は大切にすべき好きな人たちだったはずなのに、私はみんな傷つけてしまった。

 

でも、自分のした選択そのものには後悔していない。遅かれ早かれ精神的な病気の診断は受けることになっていたと思う。そしてそのときに思うような理解が得られなければ、似たようなことになっていた。私は自分の恋人と暮らすために家出して、もう何が起こってもできるだけ家族関係のせいにはしないぞと誓った。

 

恋人は優しくて、病気の私のことを受け入れプロポーズまでしてくれた。病気自体はとても辛いけど、少しずつ家族のせいだと思うことをやめられるようになってきた。

 

私は間違ってない。

 

妹のことを思うとすぐにでも何か私の考えていることを伝えたいとも思うのだけど、あんなに私に不登校になったことを伝えられるのを嫌がっていた妹にすぐに何か伝えても、「お姉ちゃんは私が不登校だって知ったから優しくしてくるんだ」と思いかねない。それはかえって妹を傷つける。

 

だから最初の約束通り、ある少しの期間だけ帰ることにした。その期間、母は入院していて家にいないので、私と妹と父だけで暮らす。

 

妹の考え方に影響することは難しいかもしれない。私が何を言ったところで、一度ついた傷は本人が消していく努力をしなければ消えることはない。それがどんなに理不尽な理由でついた傷だったとしても、乗り越えるのは本人でしかない、悲しいことに。

 

母も私に対してこんな気持ちなのかもしれない。

 

私は私のやり方で幸せになるしかない。妹たちも。冷たい印象を持つだろうけど。