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定まらない日記

身の回りのことを書きます。アダルトチルドレン、双極性障害。

思いの外だめだった

双極性障害

今週末実家に帰ることのせいだと思うしかないんだけど、今日はだめだ。友達と会う約束、断ってしまった。同じ双極性障害の子だからもちろん理解はあるので快くオッケーしてくれたけど。

 

新しい約束もちゃんと取り付けておいた。そこは進歩かなあ。本当につらくて、しかも自分が病気だということもわからなかった時は、人とどんな約束をしてもしんどかった。

 

それが三週間後の予定とかだったりすると特にだめだった。何がだめかっていうと、三週間後自分がこなすべき予定があるということを常に意識してしまってだめだった。この感覚がわからない人のほうがきっと多い。そういう人はそのままでいてほしい。

 

最近は1日バイトとかにも行けてたし、外出できるきっかけを自分から作って遅刻しないように家出る時間とか準備する時間計算するっていうのができていたのに、こういうことができなくなってくるとほんとにつらい。こういうところが病気なんだよなって思わせられるというか。

 

正直自分でも、自分の浮き沈みの激しさは元からの正確由来のもので甘えなんだと思ってるフシがある。他の双極性障害や鬱患ってる人にそんなこと思わないけどね。なんだろう、やっぱり自分の存在を許せないのかもしれない。そんなことを考えても生きるしかないのだが。

 

常に死ぬことが自分の選択肢に入ってる、というのはうつ病の人の多くがそうらしいね。死ぬ選択肢が常に入ってる時は、そのことが自然だから「死にたい」って思いながら生きてるのがつらい。死ぬ選択肢がとりあえず遠くの方に行ってくれたときは、精神的に楽になるけど、これから生きていくのに自分にはいろんなものが足りないんだなって実感がドスドスやってきて悲しくなる。

 

でもこんなの普通に生きてればみんなそうだよね、自分ばっかがつらいわけじゃないんだよね、どうして私は他の人みたいにがまんできなかったんだろ、病気になっちゃったんだろうって思う。

 

親とか叔母からのメールに書いてある「どうして病気なんて」とかの文章にも同じ匂いを感じる。どうしてあなたは病気になっちゃったの?耐えられないほど私たちはあなたを追い詰めたの?って。私はこの人たちに育てられたからこういう考えがぬぐいきれないのではないか?とか。それすらも成人したら責任転嫁でしょうか。

 

実家に帰っていったいどんな話し合いが行われるのだろう。多分私が病気だから、一回実家に帰して病気が良くなるように家族がサポートするよ、みたいな話になるんだと思う。うちの家族はこういうとき助けられると思ってるし助けるのが家族の役目だと思ってる、愛情にあふれてる。

 

でも私はきっと実家にいて自分の部屋でごはんを待つ生活をしたら、今以上に罪の意識に苛まれる。家族といっしょにいると息がつまる。人の家で居候をしたほうが私にはずっと気が楽なんだ。それを逃げと言われたらどうしようもない。

 

逃げていい、って風潮ってまじでインターネットの中だけの話だと思う。本当は逃げていい場面ってそんなに多くないんじゃない?逃げたぶんだけの別の角度からの責任とか、逃げる人は負いきれないんじゃない?

 

いや、本当はどの場面でも逃げる権利は誰にでもある。社会がそれを許さないだけで。私の周りの人々が許してくれても、私の家族は許さないと思う。社会性を常に問われてきたから。

 

母は私が中学生くらいの頃、「気働き」ができるようにならなきゃだめだということでよく私を叱った。妹もそれでよく叱られている。

 

例えば母が夕飯の準備を始めたときに、箸やお茶碗の準備をする、とか母が疲れていそうな時は洗濯物を代わりに畳もうか、と声をかけるだとか、そんなの。家庭でそういう気遣いができない人は社会に出てもそういう気遣いができないから使えない。親の顔に泥を塗ることになる。そういう内容が多かったように思う。とにかく気が利かないということが1番悪いこととして扱われる家庭だった。

 

母曰く、気働きをするかしないかということは自分の全ての行動につながっていて、ひとつ行動がしっかりすれば、朝起きれないとか、時間を守れないとか、そういううっかりミスも減るし、人生を楽しく生きるのにまず必要なことだ、と。

 

言っていることは多分正しい。母は正論のひとだ。みんな感心する。ママ友も、学校の先生も、母のそういう精神はすごいよね、どうりで娘さんたちはみんなしっかりしてるよね。そういう風に母を褒めるし、実際母はすごいと思う。

 

でも長すぎるお説教の時間とか、とにかく強すぎる正論で話されると、気働きをするというよりも、母に怒られるのが怖いし面倒だから、という理由で行動するようになる。妹も今そんな状態だ。もちろん母のことが好きだから母を手伝ってやりたいという気持ちはある。

 

そのうち愛情ゆえにここまで自分に説教をしてくれているのに、自分はどうして何も変わらないんだろう、どうして母の説教をめんどくさいと思ってしまうんだろうとか思い始めて、自己嫌悪に陥る。

 

自分をどんどん嫌いになって、それでも母に嫌われたくないから、常に顔色を伺いながら「気働き」をする。顔色を伺って行動することは気働きではないと母に叱られる。その繰り返し。なんかだんだん自分の中で整理がついてきて、母にある問題の正体が少しづつ分かってきた気がする。

 

「私が病気で死んだ時に姉として妹の面倒を見る気はないのですか?」とかね、呪縛でしかない。

 

お母さんが病気で死んだらものすごく悲しいに決まってるじゃん。妹だってそのとき成人してなかったらなんとかしようとすると思うよ。

 

なんでそんなこと言うんだろう。私は家族みんなのこと好きだったよ、22年間お父さんが変わったり何回も引っ越したり、いろいろあったけどみんなのことはちゃんと好きだったはずなんだよ。

 

もう過去のことでなにが最善の策だったかとか考えないよ。今できることをするしかいつだって方法はない。

 

私が家出もして同時に仕事をやめちゃったのは正直双極性障害のもつ衝動性が手伝ってるとは思うし、同時に私の世間さまへの甘えでもあると思うけど、いろんなことが限界だったんだ。

 

今でも限界だよ。