躁鬱主婦日記

アダルトチルドレン、双極性障害。漫画家になった。

ただ生きているだけ

最近、というかここ1年か、ただ生きているだけって感じがすごくする。調子がいいときはなんぼのもんじゃい、生きているだけでもいいやんけって精神状態になるけど、調子が悪い日は今日もただ、ただ息をしていただけだなと思っちゃう。

 

私にとって「生きる」ってなんか、命を使って、命は手段で、目的の何かをなすためのものって思いが昔からすごくあって、ただ生きていくのが難しいというわけでもないこの日本社会において、(現実問題生きていくことが厳しくなってしまったのだし、そういう人々がたくさんいることも今ではわかっている)何かもっと目的意識を持って生きて、それなりの年齢やタイミングで目的をクリアしていく、そういうものだと思ってたんだ、今までは。

 

というか同級生とかでも年上の人でも、いわゆるちゃんとしたレールに乗れている人たちっていうのは今でもそういう気持ちを燃やして生きている感じがすごくする。彼らからすると、ニートとかは理解できない存在。哀れだなとか、働くのは義務なのになんで働いてないのとか、そういうことを思うんじゃないか、そこまで厳しくはなくとも、自分が一歩先で転んでしまって、そういう事態になるかもしれないってことは絶対想像したことないと思う。っていうかできないよね。なんにもやってない、なんにもないと思ってるものを想像するのは難しい。私もそうだったと思う。周囲にそういう存在がいたわけでもなかったし。

 

「目的」とするものが社会で評価されやすいものだったから、こういう考えになっちゃうんだと思う。今の私はなんにもなくて、なんのために生きてるのかわからなくて、とても無軌道。それがすごく辛くて、これだったらできるんじゃないかと思うものにすぐ飛びついて、だめだったときにまた地べたに叩きつけられたような気分になって、生産性がなくて。

 

生産性がなくたって、毎日洗濯や皿洗いをして自炊してお弁当作って、そういう毎日のやることはやっているし、本当に落ち込み始めた当初よりはるかに家事をちゃんとできるようになったんだから、これはこれでいいことのはずなんだけど。「自分を必要としてくれる場所がほしい」って理由が大きくてもう一回働き始める主婦のひととか多いけど、そういうことだよなって。私とは事情が違いすぎて一緒くたにはできないことですが。

 

絵を描いていることは私にとって「ただ息をしているだけ」のときと「生きている」ときの2パターンがあって、やっぱり「生きている」絵を描いたときのほうが周りからも評価が高い。でもなんか昨日、自分が絵を描くことにまたサーーッと醒める思いをしたというか、下手だし仕上げがちゃんとしているわけでもなく、そういうものをずっと人に見せ続けて本当に醜いなって、また例のアレが出てきてしまって。でも悔しさはある。

 

なぜあの絵のほうがへたくそなのに私より多くの人々に評価されてるんだろうって。ほんとに醜くて、でも昔よりかはこのことを考えずに描けるようにはなってきたんだよ。でもやっぱり落ち込んでくるとこの感情にとらわれ始める。ただ息をしているだけでも落ち込むのに他人の嫉妬に支配されだしたらもうだめ、ヒマ人なんです。

 

どうしたらヒマじゃなくなるのかな。本当にやりたいことが見つかったらそうじゃなくなるのかな。多分そうじゃないよね、自分を認めてあげられるか、それだけなんだと思う。いつまでたってもできない。本当に苦しい。