定まらない日記

主婦。アダルトチルドレン、双極性障害。

白か黒

 自分のことばっかりこうやってネチネチ書いていくのが嫌になる瞬間がいくつもある。このブログに限ったことじゃない。誰かに自分のことを話すとき、違う場所で自分の表現を求められたとき。

 

今までの私は多くの場合、まったく違う嘘の自分を作り上げて挑むか、少しだけ自分の本当の意見を言おうとして、やっぱり無理だと諦めて完全に逃げるか、白か黒かだったと思う。嘘で塗り固めた人間関係は自分が嫌になって最終的に逃げ出してしまうし、無理だと思い込んで最初から逃げた関係には、自分から切ったはずなのにいつまでも執着してしまう。

 

嘘をつくことも、逃げてしまうことも、本当は悪いことじゃない。必要なときに必要な分だけ引き出してうまく使えれば、自分も相手もうまくいなして、関係を育んでいくことができる。私はそれがとってもへたくそだ。

 

このブログに書いていることは、まるで誰にも見られていないかのように本音を書くことが目的で、それは私のインナーチャイルドを癒すのに一役買ってくれるはずだ。でも本当は何人かの知り合いに見られている。たまにそれを思い出し、「本当に面倒くさい人なんだな」と思われている妄想に取り付かれる。そう思っても読んでくれているならまだいい。あきれて2度と読まないひとだっているかもしれないのだ。こういう考えに支配されては本末転倒で、ときどきブログをあっさりなかった事にしたくなるけど、それも結局「白か黒か」の発想なのである。

 

私の傾向にあてはまるかはわからないけど、アダルトチルドレンに多い考え方ではあるみたいね。私には許せないことが多くて、グレーゾーンにゆとりがない。若いから、というのもあるだろうか。

 

私が生きづらいのはこの極端な発想のせいによるところが大きいと思う。気になったことをひとつひとつブログに書いていけば、そういう認知の歪みに気づいていけるはずなのだ。それはものすごく根気のいる作業だけど。

 

まず自分の極端な考え方に気づき、メリットとデメリットについて考える。そうでなくてもいいじゃない、と自分に言い聞かせる。納得がいかなければ、自分の心の置き場所を決める。最後に、「私がどう思おうと私の自由」であることを確認する。

 

私は私の考え方に問題があると思っているからこれをひとつひとつ丁寧にやりたいと思ってるけど、結局のところ「私がどう思おうと私の自由」なのだ。自分の考えに自信を持ち、自分の事が好きになれれば、私は自分の考えをこんなにバカ丁寧に確認する必要なんてないんだと思う。それこそ極端な話だけど、話をするたびに誰かを傷つけるような性格だったとして、その性格を問題に思う事がないなら幸せに生きていけるだろう。

 

私のしていることは本当に引きこもりの発想で、誰ともぶつかることなく自分をなんとかしようとするその姿勢がそもそもおかしいのかもしれない。母ならそう言いそうだ。

 

どの職場においても嘘の自分で職務につくため仕事上は問題がないが、その嘘の自分に愛着がなく仲間や友達も極端にできづらい性格だと自分では思っている。どのような人も外向けの顔をもっているのであたりまえと思われるかもしれないが、私のつく嘘はもっと自分からかけはなれたもので、自分自身を騙すことができてしまうから注意が必要だ。

 

以前私が半年ほど勤めていたアルバイト先に友人を紹介したことがあったのだが、私は誰からもまったくランチや飲み会に誘われることがなかったのに、彼女は友達ができ、毎週のように飲み会に行っていたと聞かされ大変驚いたことがあった。彼女と私のコミュニケーション能力に大した差はなかったと思う。彼女もずいぶん引きこもり気質で、精神科に通っていたことがあった。多分、嘘を常について気を張っているから、隙がないのかもしれない。どこにいってもそうなのだった。私には他人が恐ろしい何かに見えている。いままで取り立ててひどい目にあったことはないのに、自分可愛さか。

 

ここまで書いて文章を書くのが嫌になってきた。いつまでもいつまでもウジウジと、自分を擁護する文章を書いていたってなんにもならない。動けないのなら早く死んでしまえ。おまえのことなんか大っ嫌いだ。お前の見ている世界がそのままおまえの評価なんだ。今の自分が早く全ていなくなったらいい。

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