躁鬱主婦日記

アダルトチルドレン、双極性障害。漫画家になった。

2016年12月22日

今日は休みです。体調も悪くない。特に行きたいところはないけど、どこかに散歩に行こうかな。どこに行こう。

 

少し前まではどこかに行くのもためらいがあったし、今でもそう。借金あるのにでかけてお金減らしてもなあ、とも思うし、行きたいところ、見たいもの、見たい映画、何にもないので、せいぜい集めてる漫画の新刊を買うだけの生活。まあそんなのつまんないのが当たり前だよね。

 

部屋ん中で鬼塚ちひろ聞きながらさめざめ泣くのもけっこう面白いんだけどね、好きでやってるから…

 

ツイッターを学生の頃からずっとやっていて、最近は使い方がうまくなった(突発的な愚痴とか書かなくなった)と思うんだけど、こういう私の本当にみじめな部分はツイッター見てる人はだれも知らないんだなあ、と思うと、それが普通なんだけど、その分このブログでは露悪的になってしまうような気がするし、どうなんでしょう。いや、どうなんでしょうということはないけど、ツイッターもブログも、多分このネット上の私の人格がいっぱいいっぱいに飽和して、私がもういやだなって思ったらすぐに消せてしまう類のものだから。

 

初めからしっかりしている人は、フォロワーの増減に気持ちを左右されたりしないし、突発的な感情の掃き溜めにしたりしないんだと思うけど。いや、掃き溜めにしてる人でも面白くてフォローしてる人は結構いるけどね。実際、私がひととおり愚痴った後で愚痴ったことを反省していたら、「Kさんの愚痴は面白いですよ」とわざわざ言ってくれる人が数人いた。いらんこと言うなと思ったけどちょっと救われた。

 

少し前に仲良くしていた人たちは、「ツイッターの使い方は人それぞれなんだから愚痴っぽくなってもいいんだよ」みたいな(優しく甘っちょろい)こと言っていたが、私のような過激派がグループから抜けたことで何やらみんな愚痴の回数が減ったので、多分そういうことなんだろうと思うよ。まあその人たちの愚痴ばっかの鍵垢のフォロー外したってのはあるけど。

 

人から愚痴を言われたりした時に、相手がわざわざ私に心を開いてくれたのだから、同じ分量の愚痴をもってして返事しなければいけないと私は思ってしまう方で、まあそれを理由にして愚痴を言えるってことはそもそも愚痴っぽいってことなんだけど、そういうやりとりばっかしてると、お互いに妙な甘えが生まれるし、特に私はその傾向が強いから、愚痴をあんまり言わないほうがいいんだと思う。そういいつつこのブログを何人かに公開していることは矛盾するけど。だんだん相手のことも自分のことも信用できなくなってくるんだ、私がいないところでは私の悪口を言うのだろう、と思ってしまう。私が今していることも彼女たちへの悪口に他ならない。

 

自分の1番みじめな部分は自分で抱えて生きていくことが義務付けられているのだ。そんなふうに自分を律してもこぼれてしまった情のかけらのようなものが、人同士の関わりになっていくような、そういう考えは刹那的すぎるだろうか。

 

おととい、くるぶしのところにパールが縫い付けられてる靴下を買ったんだけど、正座するとパールがめりこんで痛い。でもおニューだから今日はこれを履いて出かける。

 

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