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定まらない日記

身の回りのことを書きます。アダルトチルドレン、双極性障害。

なにを目標にしたらいいのだろう

「あれがしたい、これがしたい」が無い。まあ無いってこともない。だって瞬間瞬間で欲望の内容って違っちゃうのは私たちが生物だから、あれが食べたいなあ、ねむたいなあ、そろそろセックスしたいなあ、は当然のごとくある。このあたりの欲望が完全に感じられなくなってしまうような状態は、うつと判断するひとつの指針かもな。専門的なことはわからないですが。

 

私が言いたいのは、もっと長期的に自分がどうなりたいか、将来の夢とか、目標とか、毎日そのために努力できたら人生がキラキラするんじゃねーの、とぼんやり思うもののこと。

多分多くの人が探していて、見つからなくて、見つかっても努力できなくなっちゃったり、どうしようもない事態に巻き込まれながら仕方なく生きていたらそれが私の人生になったよという人のほうが割合としては多いと思う。いや、努力できているひともいるんだと思う。というかただ生きているだけでもみんな努力していると思う。個人の「目標」の有無を問うているつもり。どこで自分に満足しているのだろう。まあこんなもんだろう、と思うポイントはみなさんの場合どこなの?

 

例えば、太ったひとが太っていることに強いコンプレックスを感じ絶対痩せる、と決めて、ダイエットを成功させたら、これはかなりわかりやすく目標を成功しているよね。つまりそういう成功体験が私の人生にも欲しい。

 

ただこれは、どれだけ自分の問題に自分自身でコンプレックスを感じているかが大きい。もうこうしなければ他にやれることがないぞ、と思うほどの強い意思の力が無いと難しい。うーん、ダイエットとかだとちょっと違う場合もあるかな、「今の体型をキープしつつ筋トレを継続して今より美しくなりたい」とかだって人生がキラキラする目標のひとつだと思うし。

 

私はコンプレックスだらけの人間であると自認しておきながら、それを直そう、正していこうという意識はかなり低いと思う。顔や体に気に食わない点があっても、近所ならすっぴんで外に出てしまう日もあるし、少しなら太ったなと思っても食べたいものを我慢したりしたことはほとんどない。まあ今極端に貧乏だから、お金があったらある程度身なりに使う…のかな。服が好きだから、服につぎ込んでしまいそう。自意識は低い。

 

しかしめんどうくさいことに、「人にこう見られたくない」はある。だから適当なところでちょろまかすし、嘘をひんぱんにつく。嘘をつくクセは、小学生くらいのころあまりにひどかったので、中学生くらいのころにさすがに自己嫌悪に陥ってしまうようになったため、できる限り思いつきで嘘を言わないように少しずつ直してきた。でもそれができたからって人生はきらめかなかった。

むしろ、嘘をたくさんつきまくっていた頃の方が人生はスリリングなものだった。ばれないように友達に根回ししたり、友達に自分をすごいと思わせた。自分の存在を、他人とは一線を画する位置におきたかった。嘘をつきまくっていた頃の私は「ひとにこう見られたい」「こう見られたくない」のかたまりだったようだ。

 

でも、「人にこう見られる」ことで満たされる自分ってなんだろう。どうして「人からの視線」が主体になってしまうんだろう。なりたい自分がどこにあるのか、わからない。

 

「人にこう見られたい、見られたくない」が理由で努力しても、なんだか虚しいのでは無いかと思う。もちろん、それが自分のための目標と重なっているなら、ダイエットの例みたいに素敵になれると思う。でも私の場合、人にこう見られたいからという理由で無理をしてみて、うまくできた試しがひとつもない。努力じゃなくて無理をしてしまう。だいたいの場合、どこかのタイミングで自分にも他人にも嘘をついてしまう。私はだんだん溜まるストレスをうまくこぼして発散することもヘタクソだ。溜めて、溜めて、溜めて、自爆する。ほうりなげるか、逃げる。

 

 

 

上記したこととあまり関係がないが、「人の視線が気になる」つながりで、本当はもっと上手に生きていきたい。嬉しいことがあったときに、嬉しい!と人に飛びついたりしてみたいし、初めて会った人と素直に自分の思ったことを話しあってみたい。なぜかいつも、できない。嬉しいとか楽しいとかの感情をまっすぐに相手に伝えることが恥ずかしいと思っている自分がいる。初めて会った人には、自分から話しかける資格も、笑いかける資格もないと、何故だか思い込んでいる。

 

こういうよくわからない思い込みを、「自動思考」と呼ぶらしく、昔から染み付いているとそれが当たり前の発想になってしまい、自分を変えていくためには特別に意識していくことが必要なのだが、今の私の場合、

  • 嬉しい、楽しいなどの感情をまっすぐに相手に伝えることが恥ずかしい

→自分の感情を知られて恥ずかしい理由はなぜか?

嬉しいや楽しいというポジティブな思考をもし相手に受け入れてもらうことができなかったら?という不安が多分ある。幼少期や思春期に、母親に私が楽しく思ったり嬉しく思ったことの報告をしても、反応が芳しくなかったことがあった。冷たい反応のときもあった。ゆえにあまり母親に楽しかった出来事を話さなくなっていった、ということが原因ではないかと自己分析。悲しいや苦しいとかのマイナスな感情の方が表現しやすいのは、母や家族がそうだったし、もし相手に受け取ってもらえなくてもマイナスな感情だから仕方ないよね、という言い訳がたつからではないだろうか?

→しかし、実際は

嬉しい、楽しいとかの感情がわかりやすい相手のほうが人は一緒にいたいと思い、付き合いやすいと思うのではないだろうか?少なくとも私自身は、あれが楽しかった、あれが嬉しかったと伝えてくれる人と一緒に居た…いだろうか…。そのほうがいいよなと思うんだけど、あんまり「あれがよかった、あれが楽しかった」ばっかりでも萎縮するっていうかウザく感じちゃうかもしれん…。うーん。

私の発想として自分にできないことがあっさりできる人のことを妬むことがあるから、あれがよかった、あんなことをした、とかの話に対して嫉妬して、自慢するなよと思うことがある…。

じゃあ直したほうがいいのは人を妬みやすい自分ということか!?

 

 

うーん。なんだかぐるぐるしてしまう。あまり今の自分の否定から入って直そう直そうとしても疲れてしまうし、「私は感情を人にあまり知られたくない恥ずかしがり屋さん」くらいのところで今は手を打っておいたほうが、良さそう…。ありのままの自分を自分で受け入れる、みたいな作業をこんな手順で最近毎日やっていて、あーしんどい。

 

 

話がそれたな。私は何か人生に目標が欲しいな、と思っていて、それを見つけるのにどうしたらいいのか考え始めると、だいたい自分の人間性の欠陥に目が止まって何もできなくなってしまうのだ。何から始めたらいいのかな。とりあえずこんなとりとめのないことを書き綴るブログだけは開設してみたわけだけど。

 

今どうにかしなきゃならない問題って本当は自分の人間性の話じゃなくて、金銭の問題なんだよな。恋人Aから借りているお金、奨学金返済、実家への送金、税金、健康保険料。このあたりのことはお金で解決できる。今よりも稼がなくちゃならない。先月までずっとニートだったし、生理痛の治療が今より進まないと、とても週5日も働くことができない。根性なしですいません…。でも立ち上がれないんです…。

 

第一、住むところや電気、水道、光熱費とかの類を人に頼って生きている今、自立からはどうしても遠く、とにかく稼がなければ死ぬということもないという理由であまり働かないでいたから、徐々に借金が増えている、ダメ人間ではないか、私は。

 

それなのに「何を目標にしたらいいのか」なんて人生なめていると怒られても仕方ない。母がここにいたら私は死ぬほど叱られて叩かれていますぐここから出て行けと言うだろうな。あーあ。死にたい。

 

とりあえずは最近始めたバイトをなんとか続けられるように頑張ることが目標…かなあ。何か嫌なことがあったら発作的にやめてしまうから不安だけど。今日も生理痛がひどくなりそうだったから休んでしまったんだよな…。ごめんなさい。

 

いろいろ考えてたら死にたくなってきた。うまくいかないこと全部やめたいよ、ほんとは。

 

それにしても、「なにを目標にしたらいいのか」ということを議題にして、どうしてすぐに「仕事をがんばる」に行き着かないのだろう、私は。こんなにもぐじゃぐじゃと遠回りするようなことではないのに。本当は働きたくないからですけどね…。

漫画の仕事も、せっかくもらったのにこれでいいのかわからないという自分の中でも曖昧な理由でかれこれ4ヶ月も放置してしまっている。

 

ああ、私は本当にダメなやつだなー。漫画、どうしよう。正直、仕事をちゃんとやろうという気にならないのは、まだ漫画を自分はできるんじゃないかという淡い憧れとかが残っているからなんだよな。なのにその漫画にも手をつけることができない。あ〜。