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定まらない日記

身の回りのことを書きます。アダルトチルドレン、双極性障害。

どこで誰が見ていてくれるかはわからない

考え方の話

私は普段SNSでイラストとかを発表しているのだけど、ここ4ヶ月くらいはとにかく気持ちが落ちちゃって、ツイッターフェイスブックも見るたびにどうしても嫌な気持ちに心が支配されるから、投稿も見ることもしばらく止めていた。

ここ1ヶ月くらい投稿をやめていたSNSに、しばらくぶりにイラストを投稿したら、いつも作品にコメントをくれる人からメールが届いた。

どうもその人いわく、描いた絵からうける印象で、私のことを心配してくれたようなのだけど、それってすごいなと思った。

単純に期間があいたから心配してくれるっていうのもあるのかなとは思うけど、自分じゃ自分の描いた絵の印象がどうなんて全然わからないものだ。まあさすがに、1年前くらいの自分の投稿の内容を見ると、それなりに楽しそうに色々やっているな、今の塞ぎこみっぷりからすると考えられないくらい能天気だな、とは思う。

彼は多分私より何十も年上のひとだと思う。仕事もアート関連でいろんな国に行っているようで、決して暇だから私にかまってくれるのではない。ちゃんと評価してくれて、作品をどう思ったか伝えてくれる数少ないひとである。

 

私は私の作品を「作品」と呼ぶことに少なからず抵抗がある。だってただの落書きのままで、しっかりペンいれて〜色塗って〜〜ってそういうことを久しくやっていないから、というのが私の理屈。

でも相手の人がちゃんとそれを作品として評価してくれているのだったら、一応でもなんでも作品として扱わないと逆に失礼だ、という意見もうなづけるわけで。

 

私は私自身への作品の厳しさと同じものを他の人に対しても持っていて、描いたよ〜とか言ってSNSにアップされる絵が、私の思う「作品」の基準に達していなければ、「いいね」とは思わない。それが私の基準なんだから他にどうすればいいんだよ、でもなんだか周りの人々はもっとゆるくうまくやっている気がする。

「尊敬」のハードルが周りの人はめちゃくちゃ低いような気がするんだよね。私がプライド高いせいなんだろうな、と、ここまで考えたときに、私はいつも少しだけ周りに置いてきぼりにされたような寂しい気持ちになる。

 

私はたいした人間でありたかった、たいしたことのない人間なんだってことをまだ十分に受け入れきれていないんだと思う。卑下しすぎることもなく、自分を受け入れるのは私には本当に難しい。