躁鬱主婦日記

アダルトチルドレン、双極性障害。主婦。

昨日安定してるって言ったけど、今日は死ぬほど寝てしまった。

 

天気悪かったからかなあ。就労支援施設の見学も行き損ねた。ていうか行きたくなくて眠ってしまったのか?わかんない。

 

私はこのブログに大抵のことは自分が思った真実を書いてるけど、実は普段も嘘をつくのが苦手。

 

小さい頃大嘘つきだった反動で、嘘が言えなくなってしまった。オブラートにくるむくらいのことはできるけど、嘘を言おうとすると口をつぐんでしまう。

 

でもそのぶん、人が自分につく嘘には随分過敏になったなあと思う。ピッキングが得意な泥棒の方が家のセキュリティに詳しいみたいな、そういう感じだ。でもみんなそうなのかな?人のついた嘘には過敏?そうだとわかっても鷹揚に許す?

 

そういう大人の距離感をまだわかっていない24歳。もはや外の人とコミュニケーションとってないので学ぼうにも学べぬ24歳。

 

好きな人なのか好かれている人なのか微妙な時とか、「あなた私のこと好きなの?」ってけっこう聞いちゃうんだよな。でもそういう相手の出方次第のことを口にしちゃうのって今思えば相手に失礼だったかもしれない。聞いたのは二回で、二回とも付き合うことになったので、ある種小悪魔テク?かもしれんねこれは。

 

でも、「あなただけに本当のことを話す」も信用できなくなっちゃった。相手は本気でそう思ってそういうことを口にしてるのかもしれないけど、本当のことを言って嫌われるような、嫌いになってほしくないような人には言わないような気がする。

 

それをポロッと言わせるのが私の雰囲気なのかもしれないけど。

 

ポロッと言ったことであとあと後悔して私から離れてくって結局そういうことだよね。自分で自分の首を絞めといて、私のことを遠ざけることで身を守ってる。

 

そういうの、さみしい。

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特に薬の配合を変えたわけではないけど安定しているような気がする。

 

Aが最近早く帰ってくるようになったので、週に3回くらいは夕飯を作って食べているんだけど、それのせいかもしれない。

 

ごはんを作ろうとするとやっぱり買い物に出なくちゃならないし、買い物に出るなら寝癖直してズボン履き替えるくらいのことはするし、なんらかのアクションを起こさないとご飯が食べられないから、それが少しいい影響になってる気がする。

 

安定している気がする、というのは、もはや友人のだれにも「私は躁鬱でこんな目にあっているのに、こいつときたら楽しそうにしやがって」「私とは誰も遊んでくれない」みたいなことを全然思わなくなったこと。

 

 

そういえば昨日、私が10年ファンでいる先生に書いた手紙を、ポストに投函した。よんでくれるといいなあ。こんなことをするのは初めてで、手紙を書くだけなのにある種の不安が常にあって、でもドキドキした。ラブレターだもんな。

 

告白するためにラブレターを書いたことは今までの人生で一度もないけど、きっとこんな感じなのかな。いや、もっと心臓がバクバクするかも。

 

 

明日は就労支援施設に見学に行くんだけど、私ほんとに就活するんかなあ。就活したい理由として、金が欲しいのと、人恋しさ。それだけなんだけど。夢とか目標とか、そういうの一切なくて。それでいいのかなあ。

死にたいと思っていても別にいい

なんとなく最近つかんできたことで、死にたいと思って生きていても別になんら問題ないということ。

 

死にたい人は死にたいのだから、命を絶ちたいと思うくらいしんどいor軽い気持ちでさくっと人生終わらないかなくらいの感情でそれを言っている。

 

で、今まで私は死にたいと思うことを人としてダメなことだとずっと思っていたし、自分の今までついた嘘とか、そういうものに「いつか天罰がくだる」とずっと思っていたし、天罰を自分が下そうとさえ思ってた。

 

でもなんだろ、死にたいと思いながら生き続けていてもいいし、いつか天罰がくだると思いながら自罰的にいきていても、自由なんだなって思った。

 

それをいいこととか悪いこととかジャンル分けしても意味がない。

 

自信についてもそうだ。自信がないことが悪いことみたいに言われてるけど、そんな形のないもののあるなしに振り回されて、「自信がない」とかわざわざ言うのってあほらしいなと。同時にそういう時代を愛おしく思う部分もある。

 

ある本に「自信はあるなしじゃなくて、必要に応じた時に自信があるそぶりをするか、ないそぶりをするか選ぶもの、それだけ」と書かれてて結構腑に落ちた。

 

私にないのは自信じゃなくて社会性だ。社会性がほしいことを「自信がほしい」に言い換えて努力してこなかっただけで。

 

少しだけ前に進んだ気がする

うつ病の友達と話した効果なのか、ちょっと分からないけれど、少しだけ前に進んだような気がする。彼女はわたしのことを好きだと言ってくれて、それを伝えなきゃと思ったらしくて。

 

人生で一番尊敬している人、もう10年になるかな、今24歳だから14歳のころから尊敬している人に、ファンレターを送ってみることにした。

 

私が誰かに「あなたを尊敬しています」と伝えることはなかなかない。友達関係でも、伝えようと思えばいくらでも伝えられるのに、そう言いそびれて、知り合い程度で止まってしまうことが多い。

 

だけど今みたいな状態になってみて初めて、普通に働いてる人を尊敬できるようになった。自分が働けなくて、うらやんだこともたくさんあった。むしろそんな時間の方がずっとずっと長かったけど。

 

10年も尊敬しているのに、私はその人にファンレターを送ることを今までしてこなかった。きっと読まれないと思ったし。

 

でも今はそんなことは関係なくて、気持ちを伝えたいという思いと、伝わらなくてもいいやという思いで胸がいっぱいになった。ちょうどその人は長いお休みの期間に入っている作家さんだから、もしかしたら読んでくれるかも。

 

そういえばしいたけ占いにも書いてあったな、「あなたを尊敬しています」と伝えることを大切にしろ、的なことが。今年はそれがテーマかなあ。うまくできるといいけど。

 

 

 

あと、資料請求した就労支援施設から電話がかかってきて、見学しませんか?と言われたので、行ってみることにした。

 

就職、すんのかなあ。できるのかなあ。でも、社会に関わっていたいと思い続けて、でもうまく関われなくて、すごく苦しんで2年くらい経っちゃった。就職した方が楽なのかもしれない。お金も余裕ができるし、精神的に追い詰められることも減るのかもしれない。

 

 

だけど、今まで夢だった漫画家になるって夢は、一度捨てなきゃならないだろうと思う。こんなことになって今更だけど、まだ後悔はある。漫画家になるチャンスをせっかくもらったのに、足がすくんで動けなくなってしまった。

 

担当さんはすごく優しい人で「あなたの漫画に共感する人はきっとたくさんいる。そんな人たちの感想が見てみたい。病気のことは無理しないで養生したらいいので、待ってます」と。

 

普通はこんな弱気な作家は切ってしまうと思う。そこまで望まれているのに、私はどうしても描けなくて。

 

 

働きながら漫画を描くなんて、双極性障害の私にはとてもじゃないけどできないと思う。

 

就労支援施設は、精神病の人向けの施設だから、その点安心して就職活動ができるんだけど…。

 

私が尊敬している人は、「逃げてもいいけど、逃げちゃいけない場面は絶対ある」とインタビューで答えていた。私にとってどっちが逃げちゃいけない場面なのか、わからない。

 

でもどっちかはやってみなくちゃいけないよなと思っている。

 

 

 

今読んでる本。身につまされる。「楽しく生きたい。結婚することが目標」という人たちに、本当にそれで生きていると言えるのか、社会との繋がり方を自分で考えたほうがいいんじゃないのかという内容。

 

まあ、健康な人向けの内容だし、主婦やってるひとを非難したりする内容ではないんだけど。

 

「社会とつながる」って、難しいなあ。

理想が高いから苦しむのか

うつ病の友達と数日前から何度かやりとりしている。

 

今日来た文章に「Kも私も理想が高いからこう思うんだけど、もっと楽になってほしい。理想を落として幸せになるっていうのはちょっと嫌なことかもしれないけど…」というメッセージが届いた。

 

ちょっとだけ図星で、胸の奥がぎゅっとした。

 

確かに私は自分に課するハードルが高いと思う。ずっと自分は、他人にとってエンターティナーでありたいと思ってた。そのためなら嘘ついてでも、人が楽しむならそれでよかった。

 

それは母に対しても同じだった。母に笑顔で居てほしかった。適当な作り話でもちゃんとオチがついていれば母は作り話とも知らずに笑ってくれたし、本当のところは別にわかりっこないんだからそれでよかった。

 

でも結局ガタがきた。そういう自分に耐えられなくなって、被害妄想やら加害妄想に押しつぶされそうになって、毎日泣いて、黒い考えが胸の中から吹き出して、心療内科に行ったら「双極性障害ですね」と言われた。

 

それまで自分はアダルトチルドレンなんだと思っていた。図書館の本を読んで色々調べたら、それが1番自分にしっくりきたから。

 

母が辛い過去を抱えながら私を、一番目の父親によく似た私をここまで育ててくれたことに心底感謝していたし、だから母が私に、自分の恋人の相談を持ちかけようが、何時間も正座させられて涙が枯れるまでお説教を受けても、それでも母を好きでいなければいけないと思っていた。

 

このことはなんどもこのブログに書いたことなんだけれども。

 

私は「良い娘」であろうとしていた。自分の理想のためだった。他にも、「理想の友達」「理想の生徒」「理想の恋人」「理想の女」私の考えることはそんなことばっかりだったと思う。

 

今になって、私がほんとうにやりたいことが分からなかったり、こういう形で人生の迷宮に迷い込んでしまったのは、私が作り出した高い高い理想のせいなんだろうなと思った。

 

やろうとしていた仕事を断ろうとしていることも、理想が高いせいだということはわかってる。

 

いつまでもこの殻に入っていられないことももう十分わかってる。

うつ病の友達

整形したいーーー。せめて矯正して出っ歯直したい。まぶたの切開だけでもいいからお金貯めてやりたいなあ。

 

余生、せめてもう少し綺麗な人でいたい。

 

昨日の夜薬飲み忘れたから起きてすぐ空腹時に飲んだらものすごい吐き気。やっぱり夜に飲めと言われてるものは夜に飲まないとだめだね。

 

とはいえ2日連続で夕食抜いてるから、夜飲んでも同じかもしれないけど。食欲より先に睡眠欲がくる。

 

全然関係ないけど、三大欲求って「食欲、睡眠欲、性欲」だけど、私は「性欲」を「排泄欲」にチェンジした方がいいと思う。排泄の方が差し迫ったものがないかと思う。性欲は我慢しようと思えばできるし、男性のオナニーだって排泄欲の一種じゃないかと思っちゃう。女だからそのへんは偏見だけど。

 

 

最近、うつ病の友達からメッセージがきた。

 

「三年前からずっとあなたに好意をもっていたけど、好きって伝えても何の意味もないし黙ってた。でもやっぱり伝えようと思った」という旨の内容だった。

 

人に好きだって言われても、私自身はすごく嬉しいわけではない。なぜなら私が自分のことを好きになれない人だから。でも、その人にとって特別であることの優越感だけはある。性格悪いと思うけど、その優越感からくる嬉しさが、率直な私の気持ち。私はいつも優越感に振り回されていると思う。

 

よく「自分のことを好きになれないと、自分のことを認めてあげられないと、自分のことを大切に思ってくれている人に失礼」という言葉が蔓延しているけれど、その言葉自体に傷つけられている人は大勢いると思う。

 

自分は自分を好きになれない、だから他人に失礼なんだ、失礼な態度で接してしまうんだ。そう思ってしまうと思う。だって、自分を大切にするってどうしたらいいのかわからないし。そんなこと言う割に、誰も自分を大切にする方法を教えてくれないし。

 

「自分のしたいことをして、自分がそばにいたいと思う人のところに居て、わがままに過ごす」みたいなのも見つけた。現に私は今そういう暮らしを送っている。

 

長いこと縛られてきた家族の呪縛を解いて、新しい、少し妙な関係性の家族を築いた。それは多分誰にでもできることじゃない。幸せなことなんだと思う。自分を大切にした結果、周りの人間を傷つけたけど。

 

どうだろう、私は、私のことを大切に思ってくれている人に対して失礼なんだろうか?

 

うつ病の友達とメッセージを何回かやりとりして、考え方がけっこう似ているなあと思った。人に褒められても別に嬉しくないこと。相手に好きといってもいいのか、自分に相手を好きになる価値があるとは思えないこと。

 

彼女とは三年前に会ったきり会っていない。それでも、三年以上も会っていない人間に「あなたのことが好き」と伝えてくれるって、多分彼女なりにすごい勇気のいったことで、私はそこをすごく尊敬した。特別に嬉しいことじゃなくても、私にはこういうところが足りないんだって本当にそう思った。

 

 

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今日も被害妄想が止まらない

朝から被害妄想とか、昔のこととか思い出してしまったりが止まらない。今日は晴れてるしどこか散歩に行こうかなあ。最近ずっとこもりきりだし。

 

ひきこもりが体にも精神にも悪影響なのは分かってるんだけど…。でも節約にはなるよね。

 

毎日じんわりと辛い。